アフリカ熱帯林の現状と日本との関係

銃では終わらせられないゾウ密猟者との戦い


The Guardianの記事を、AJFが翻訳・紹介するものです。
引用する際には、原文にあたってください。
Guns will not win the war against elephant poachers

銃では終わらせられないゾウ密猟者との戦い


罰金を高額にし、刑罰を重くするだけでは象牙目的の密猟を阻止することが出来ない。 伝統的な価値観は頼りになる。

The Guardian 2013年7月9日

最善の努力にも関わらず、密猟との戦いは終わらない。7月3日、ケニア政府が密猟者や密売人を追いつめている最中、ケニアの港町モンバサで1.5トンもの大量の象牙が押収され、、象牙の密猟・密輸業者らの勢力が未だ衰えていないことが明らかになった。2013年の最初の半年で、2012年の1年間で押収されたよりさらに多い、7.5トンの象牙が国内で押収された。

全ての措置によっても、ゾウは昨年より酷い状況下にあり、象牙の国内での流通量は増え続け、ゾウ虐殺は加速している。世間の人々、CITES、保護活動家、そして世界が、ケニアの言葉と行動の不一致を批判している。状況は制御出来ない程速く渦を巻いている。

ケニアは何度も断固とした措置を取ってきた。Kenya Wildlife Serviceの上級役員らを含む32名のスタッフが、直接事態を悪化させたもしくは問題への関与の疑いで更迭された。この恥ずべき人々の中には、警備部門の上級役員もいた。政府は新たな規制を施行し、新たに1000名の警備隊を雇うための追加資金拠出を公約している。民間セクターもまた、密猟に対抗するための特別なトレーニングや、さらなる監視、探知犬、攻撃犬、車両、そして1000ドルする遠隔カメラや航空機への投資を増やすなど努力を倍増させている。

密猟者を阻止するためのこれらの強圧措置による努力にも関わらず、問題は悪化している。KWSの警備次長、Julius Kimaniは先週の会議で以下のように述べた。

「この戦いは銃では終わらせることができない。私たちの最も重要な種の殺戮を止めようと人々が思うようなもっと賢い方法を探す時だ。」

変わりゆく密猟をめぐる動き


コストやリスクにも関わらずケニアの人々がゾウを守った時期があった。象牙のためにゾウを密猟することは最も許しがたいことであり、それに携わった者は品位を落とした。1970年代と80年代の密猟者のほとんどは、銃を腰布の下に隠して北から徒歩で入ってきた逞しく筋張ったソマリの人々であった。彼らはゾウの跡を辿り銃殺すると、後日集めに来るために象牙を土に埋めた。それは高度な技術を必要としないビジネスであった。今日の象牙の密猟と密輸は、最早ソマリ人の独占事業では無く、全ての民族集団、職業人、そしてあらゆる階層の人々によって行われている。

  • 4月、若い大学生をケニアのショッピングモールにて逮捕、スマートなSV車は象牙で一杯だった。
  • かつて国外からの密猟者を止める存在と考えられていた地域共同体のメンバーらが今、密猟を行っている。
  • ケニアでは、地域的な密猟ネットワークが罪を問われることなく動いている。
  • 保護団体のスタッフや元スタッフが今、自ら密猟を行っている。
  • 軍の士官たちが密猟の疑いで逮捕されている。
  • 2人の著名なゾウの保護活動家のケニア人が象牙密輸への関与で逮捕された。
  • 6月29日ナイロビ国際空港にて、アメリカ人旅行者が象牙密輸の罪で逮捕され告発された。

このように、人々をゾウの殺戮や象牙密輸へと駆り立てるものが貧困では無い故に、誰もが象牙取引ビジネスへの関与が疑われ得ると考えられる。何故今それほど多くの人々が象牙の密輸に携わっているのだろうか?

密猟者の心理を理解する


行動経済学者でデューク大学の教授であるDan Ariely氏との近日のディスカッションで、密猟の背後にある人々の動機について考えさせられた。ニューヨークタイムズベストセラーのPredictably Irrational、The Upside of Irrationality、The Honest Truth about Dishonestyの3冊の著者であるAriely氏は犯罪行動の背後にある動機を研究してきた。

私はAriely氏に、密猟の阻止のために重罰を課すことで危機に対応しているケニア政府について話した。私は、他の人々のように、さらなる重罰化では上手くいかないだろうと直感している。代わりに、容疑者らが警察を買収するだろうと恐れている。そして象牙の価格はこの買収費用を補うために上昇し、そしてゾウの殺戮は速まる。Ariely氏は私の意見は的を射ていると言ったが、必ずしも私が考える理由が正しい訳ではなかった。

私は密猟に関係する行動経済学について、3つの重要なことを学んだ。

  1. 全ての人は、社会的に許される限り不正直である

    初めにAriely氏の調査結果は、多くの人が悪い事をしている時、それは社会的に許容されるものであると誰もが見なしやすくなり、人々はそれに加わり始めることを示している。Ariely氏の論理によれば、象牙密輸とゾウの密猟の拡大を報じれば報じる程、それはより普遍的なものとなり、故に人々は「皆がやっているのだから」と考えるようになるだろう。常識が示すことと逆のようではあるが、これが意味することは、象牙密輸の事実が知られれば知られる程、より事態は悪化するということである。少なくとも事実の周知が道徳的嫌悪感や非難と強く結びついていない限り。

    彼の調査はまた、人々がある限度内でのみ悪いことをするものであり、その限度は個々人がどこまで不正行為を受け容れることが可能なのかによって規定される。例えば、全ての人は僅かな盗みを働くかもしれないが、さらに盗む機会があったとしても、人々はその人自身のまた社会的な基準が定める範囲内に、不正をとどめるだろう。それは、他人の行動を観察して何が良くて何が悪いかを判断する、一種の社会的学習のようなものである。

    薬物使用や無信仰、優秀なアスリートによるドーピング、賄賂、汚職といった多くの不正が社会的に許容されるのは、より多くの人々がこれらの不正を働いているとメディアが繰り返し話すことで、我々にそれらの不正がよくあることだと思わせていることが原因かもしれない。そうして我々は自らの不正を合理化し、「悪いとは分かっている、けれどだから何だ、皆やっているじゃないか。」と言うのである。これは、飲酒運転が社会的に許容され多くの人々がそれを行っているケニアで日常的に見られることだ。飲酒運転が社会的に許されないアメリカやイギリスのような状況を夢見ているケニア人はごく限られている。

  2. 犯罪は小さなことから始まる

    2つ目にAriely氏から学んだことは、それがインサイダー取引であれ薬物犯罪であれ、ほとんどの犯罪は小さなことから始まるということだ。一度犯罪を始めてしまえば、もう少しだけ罪を犯すことはより簡単で、そして遅からず、最初は考えもしなかったようなことをしている。犯罪者は捕まった時によく、自分がしていたことの重大さに驚きや恐れを示す。

    これは「滑る坂(slippery slope)」に立つとそのまま悪い状況へ向かっていくということである。多くの人々にとって罪を犯すことは、それがどんなに小さなことでも、処女性を失うようなものである。一度失ってしまうと、二度と取り戻せない。しかしながら、良いことに、我々には再起動し、やり直すための仕組みがある。カトリック教会での告解を思い起こそう。

  3. 罰則の重さよりも捕まるリスクが犯罪を阻止する

    3つ目に学んだことは、人が犯罪に関わる可能性は、罰則の厳しさよりも、捕まる確率により関係しているということだ。特に、その確率がとても高い時だ。(赤信号を渡ると罰金は1000ドルだが捕まる確率は1% VS 罰金は0ドルだが捕まる確率は100%を考えてみよう) Ariely氏の調査は、薬物取引には罰金や禁錮刑があるにも関わらず、特に捕まる確率が低い場所や、犯罪文化のある場所で人々は薬物取引を続けていることを示した。よってこの主張によれば、逃げられる可能性が高い限り、密猟者はどんなに罰則が重くても密猟を続けるリスクを犯し得る。

    この観点からすれば、世の中に捜査が不十分で腐敗が蔓延している限り、重罰化が進むことは、人々をだったらなおさらという思いをいだかせ野生生物に対する犯罪という暗黒の世界へさらに追い立て、問題をより悪化させるかもしれない。これら全てが意味することは、重罰化が進み、もし実際に適用されれば確実に数百、数千の人々を15年以上(理想とは程遠いが)獄中に追い込むとしても、殺戮は止まることがないということだ。

    Ariely氏はこう結論した、
     「犯罪者が捕まった場合に重い罰則を課すよりも、この問題に対する倫理的姿勢を変え、そして教育プロセスを密猟取引は許されないことを理解させるものに変えていく必要がある。」

行動経済学をいかにしてゾウの保護に適用させるか?


Ariely氏の調査から、密猟者の流れをくい止め、既に犯罪に手を染めた人々を元のまじめな人生に引き戻すための2つの教訓と実践を取り入れることが出来る。

初めに、我々は全ての人が密猟をし得るということを直視し、人々が他の人がしているからという理由で密猟や象牙取引に携わるのを止めなければならない。これは、おそらく社会へメッセージを送るメカニズムによって解決が可能だろう。密猟は社会的に許されない、道徳に反した、禁忌の行為とされなければならない。

次に我々は、滑り坂の淵に差し掛かったばかりの人々に与える、そこから退く道を探す必要がある。アフリカの伝統は、些細な罪を犯した人々を許す伝統的な法廷の例で溢れている。罪人は謝罪し、罰金を払い、二度としないことを約束し、社会へと復帰する。最も著名なケースは、議論を呼びつつも、伝統に基づき公的に認知されたガチャチャ法廷を通して行われたルワンダの大虐殺に対する処罰であろう。

ゾウを保護することを伝統的価値に基づいて讃える


伝統的な法廷は野生生物に対する犯罪に対して効果を発揮してきた。例えば、Omniという名のサイが5月、ケニア北部のIlingwesiで殺された例だ。年長者らが伝統的な手法の利用を決めるまで、犯人を追う政府の努力は失敗に終わっていた。彼らは、犯罪者らに、罪に直面するか、もしくは呪われるリスクを冒す10日間を与えた。10日目に、2人の男が出頭した。彼らは伝統に従って直ちに各々3頭の牛による罰金を課され、その後正式な罰則のために警察へ連れて行かれた。

コミュニティによって監視されるだろうが、世間の承認、自責の念の表れ、謝罪、そして悔恨が、この2人の男の社会復帰を許した。価値観を変えるための答えとなり得るこのケースは、あまり多くの世間の注目や承認を得ていない。

Ariely氏が正しければ、保守派や政府は真剣に、一般の人々が「処女性」を失い、野生生物に対する犯罪の闇の世界に入っていくのを阻止する方法を考えなければならない。汚職や賄賂に対する社会的な許容が劇的に減少しない限り、ケニアにおける全ての類の犯罪を減らすことは出来ないだろう。密猟と象牙密輸はもう一度、自身のコミュニティの人々がそれに関わることを許容しない、社会的に許されざるものとならなければならない。行動学の教訓を象牙の密猟・密輸問題に適用することで、我々はアフリカの価値を守るために伝統的なアフリカの法廷を認め、公的権限を与え、そして人々の認識を変え、経済的インセンティブにも関わらずゾウを守るコミュニティを育てることが出来る。



独立行政法人環境再生保全機構より平成24年度地球環境基金助成金を受けて実施した「アフリカの熱帯林の環境保全と日本をつなぐ生物多様性保全の教育・普及活動」のフォローアップの一環としてこのページを作成し、公開しています。

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