マルミミゾウの運命:Andrea Turkalo氏が彼女の経験と洞察、そして不安を語る
National Geographicが配信したニュースを、AJFが翻訳・紹介するものです。
引用などする際には、原文を確認して下さい。
The Fate of Forest Elephants: Andrea Turkalo Shares Her Experiences, Insights?and Concerns
マルミミゾウの運命:Andrea Turkalo氏が彼女の経験と洞察、そして不安を語る
Posted by Christina Russo in A Voice for Elephants on February 4, 2014
Andrea Turkalo氏は Wildlife Conservation Society (WCS:野生生物保全協会)の野生生物保護に関わる共同研究者であり、ニューヨーク州イサカにあるコーネル大学のコーネル鳥類学研究所の"The Elephant Listening Project"の共同創立者でもある。
Turkalo氏は、ひっそりと生活し、あまり解明されていないアフリカのマルミミゾウ研究の第一人者と考えられている。彼女は中央アフリカ共和国(CAR)にあるザンガ・サンガ国立公園の彼女のザンガ・リサーチ・キャンプでマルミミゾウを20年以上研究し続けてきた。
WCSの研究者のFiona Maisels によると、マルミミゾウは2001年におよそ100,000頭いたが、現在はおそらく72,000頭もいないだろうということである。彼女はCARのマルミミゾウの生息数はおよそ1,500頭と推定している。
2013年3月、Turkalo氏は、彼女のキャリアで初めて、CARの政治的暴力が原因でキャンプから避難することを強いられた。彼女が出発した後すぐ、セレカ反乱軍の兵士と伝えられる者たちによって、26頭のマルミミゾウがザンガ・バイで虐殺された(バイは”森林の中の開けた湿地”を意味する)。虐殺の犯人は未だ見つかっていない。
現地の言葉で「連合」を意味するセレカは、2013年3月にCARの大統領を追放し、激しく火花を散らしながら進行中のイスラム教徒とキリスト教徒の長い争いを引き起こした連合体である(CARはアメリカの世界平和基金の失敗国家ランキングで2013年に9位にランク付けされた)。ほぼ100万の人々が暴力によって避難を余儀なくされている。そしてその状況は 「血まみれの乱痴気騒ぎ」と表現されている。
Turkalo 氏は現在マサチューセッツに滞在している。彼女はザンガに戻ってバイの観察台でゾウの調査を再開できる程度に、CARの政情が落ち着くのを待っている。
Russo: セレカ反乱軍が去年の春、ザンガ・サンガ国立公園に侵入しました。そしてあなたは強制的に退去させられました。セレカ反乱軍グループの侵入をどのように知ったのか、そしてあなたがどう対応したのか詳細を話していただけますか?
Turcalo: 私は2012年12月にアメリカにいました。そして12月26日の午前4時に首都バンギに戻りました。私が到着した時、誰もが話していました。セレカがバンギ(CARの首都)の北方100km付近に迫っていることを。それで私はアメリカ大使館に電話をしましたら、彼らは「我々はCARから退去する」と言いました。私はできるだけ早くバンギを離れ、私の調査地に一番近い村であるバヤンガに行かなければならないことを知りました。私は同日の午後4時に出発する車を見つけました。私達は500kmのほとんど未舗装の道路を一晩中走り、夜明け前にバヤンガに着きました。
私達はその後3か月、バンギの北100km付近にいるセレカの動向を見守りながら、バヤンガに滞在しました。2012年12月から2013年3月までの期間にセレカがバンギに侵入するのを妨げていた唯一の原因は、南アフリカ軍の存在でした。3月の終わりに私は、南アフリカ軍が弾薬を使い果たして敗走したこと、そしてセレカが首都にとどまり政府を乗っ取ることが可能になってしまったことを聞きました。
なので、私は3月24日にバヤンガを出発し、WCSが川下のプロジェクトのベース・キャンプを管理しているコンゴ共和国側に向かいました。
− セレカ反乱軍がキャンプの近くに迫っていたからあなたは避難したのですか?
私は以前にも同国でクーデターを経験したことがあります。それらは概して平和的でした。直近のクーデターは2003年に起こり、それは私達が待っていたものでした。誰がみても大統領は完全に無能で年老いていました。私は覚えています。私達はそれ(クーデター)が起こることを望んでいました。だから“クーデター”はたいてい穏やかなもので、バンギで起こり他の地域に流出することはありませんでした。
しかし今回は違っていました。セレカは違っています。それは5つのグループで、12月以前はそれぞれのグループで活動していました。そして彼らは一緒になり、とてつもなく大きな力を持っているのです。国内の他の地方でのセレカによる暴力行為の報告を受けて、私は、今回は違っていることをさらに強く確信しました。
勃発寸前のクーデターのニュースをひとりのイスラム商人から聞いた時、私はバヤンガの地元の村にいました。すぐに私は避難することを決めました。
私は他の2人の研究者に(クーデターの)ニュースを知らせるため、また退去に必要な物をかき集めるためにザンガ・キャンプに戻りました。皆が言いました。「何だって?!」。国立公園の従業員や公園の監視員までも全員が非常に驚きました。それから私達はバヤンガに戻り、3艘のボートに乗って、川を約6時間南に行った所にあるコンゴ共和国のWCSのベース・キャンプに向けて出発しました。私達は夜に月明かりの中を移動しました。
− 誰が一緒に行ったのですか?
2人のアフリカ人を含む5人の女性がいました(グループには Anna Feistner氏が含まれていた。その時彼女はWWF中央アフリカ地域プログラム事務所のザンガ・サンガ保護地域の主任技術顧問であった)。アフリカ人のひとりは船外モーターを担当しました。川の視界は良く、私達は国境に着きました。しかし国境を越える時、国境警備隊がカラシニコフを発砲し始めました。
私達は接岸しました。全員が極度に興奮して攻撃的でした。警察と国境警備隊がいて、彼らは私達に向かって鋭く叫んでいました。Anna Feister は ?彼女は非常に賢明だった?は言いました。「かばんを外に出してはだめ」。なぜなら私達は全員合わせて25,000ドルを持っていたからです。Annaと私は、興奮して重武装した男の方に歩み寄りました。私は現地の言葉で話しかけ、「私達はあなた達がここにいることを知らなかったのです」と彼に言い続けました。彼はやがてAnnaを認識しました。なぜなら彼女は以前、彼がラジオを聴くのを助けるために時々電池をあげていたからです。そして彼は落ち着きを取り戻しました。
私達は彼らにいくらかお金をあげました。そしてボートに戻り、コンゴに向けて出発しました。そのときまだ24日でした。私達は真夜中にコンゴに着きました。
− あなたは6枚のハードディスク相当の資料を持って行ったんですよね?
ええ。私は何度か痛い目にあったことがありました、3年分のデータを失ったなんて恐ろしい話も聞いてました。だから私はハードディスクをひっつかんできたんです。
− 後にあなたはCARに戻りました。戻る前にどのくらいコンゴに滞在しましたか?
私は戻る前にコンゴに3週間いました。
私達はやがて私達が戻れるというバンギからの知らせを聞きました。それでAnnaと私は川を遡り、そこに留まれるという希望を持ってバヤンガに戻りました。しかし、私達はそこに三晩しかいられませんでした。私はバイで一夜を過ごしました。
その時私は夜の間中、衛星電話を持っていました、普段はそうしていなかったのですが。そして最後の夜、電話がオフになっていることに気付きました:それはちょうどAnnaがテキストを送っている時でした。彼女は私達は今夜出発しなければならないと書いてきました。セレカがバヤンガにまたやって来つつあるという報告があったからです。だから私達はボートに乗り込み再び川を下ってコンゴ共和国のWCSのベース・キャンプに向かいました。
− 彼女があなたにテキストを送ったときAnnaさんはどこにいたのですか?
村から20kmのところです。彼女は公園を管理しています。私は独立した研究者です。
− あなたはほぼ1年も(CARを)離れることを予想していましたか?
はい、予想していました。というより、私達は決して予想できないものです。ときに物事は落ち着くけど、時にはそうはならない。これらのセレカのグループはとても攻撃的でした。私達は実際にイスラム教徒とキリスト教徒の間の不和を目撃しました。セレカは本当に人々の間に対立を持ち込んだのです。
− あなたが去った後26頭のゾウがザンガ・バイで虐殺されました。その事件は5月7日に起こりました。それ以来、同じような事件がバイで起こったことはありましたか?
いいえ、なぜならそこにはプライベート・セキュリティ(民間の警備組織)がいますから。彼らは密猟者を追跡します。
− プライベート・セキュリティーについて教えていただけますか?
5月7日にゾウが密猟された後、Ofir Drori氏 ー彼はLAGA(The Last Great Ape Organization Cameroon: カメルーン最後の大型類人猿協会)を運営している並外れた人物ですーは言いました。「私達はこのことについて何かしなければならない。」彼はカメルーンで野生生物の違法売人を追跡して、人々を逮捕させていました。彼はバイでの密猟に落胆し、心を乱していました。彼はプライベート・セキュリティをしている友人達にバンギに行き、セレカに物事を監視下に置くようにと話すよう要請しました。それはとても効果的でした。
− ザンガ・バイでのゾウの密猟者は誰だったのですか?
私は彼らがゾウを殺す前にEメールを受け取っていました。公園の私のキャンプから約6km離れた場所にゴリラの訓化プログラムがあります。そこで働く人々が、セレカがバイを見ながらうろついていたと知らせてきました。
− 象牙はセレカに資金を提供するために使われると思いますか?
私はそう思います。彼らは多くの密猟を行いました。誰だって、彼らが野生生物のプロジェクトを、兵器類を買うために利用すると思うでしょう。
しかしながら、より大きな疑問は兵器の出どころはどこなのかということです。これは頭の良い人であればわかります。
− 今までバイの事件に関して何らかの検挙や起訴がありましたか?
いいえ。セレカが来て、ゾウを殺して、象牙をとって、去った、それだけです。
− 何人のセレカが大虐殺を行ったのですか?
17人いたと聞いています。
私は大虐殺の様子を心に思い浮かべました、その映像で私はゾウ達が逃げているのを見ました。私は次のようなことが起こったと思いますーゾウ達はバイにいた。そしてセレカがやって来るのを聞いた。彼らは逃げようとしたー。私はバイの中心部に死体をひとつも見ませんでした。彼らの体はすべてバイの周縁にありました。彼らはすべて殺されていました。
− バイのエコガードは密猟者に対応しましたか?
エコガードと研究者がそこにいました。セレカが来た時、彼らは間違いなく森の中に逃げこんだのです。
− AVFE(A Voice For Africa)はあなたと一緒にバイで働いていたMelissa Grooと最近話しをしました。Grooはバイを“極めて神聖な場所”と呼びました。彼女はそこで大虐殺が行われるなど思ったことがなかったそうです。あなたも同じように思っていましたか?危機によってあなたの状況は何か変わりましたか?
私はそれが起こることを知っていたような気がします。なぜならセレカは冷酷な殺し屋だからです。
あなたのふたつ目の質問については言いたくはありませんが私はそう感じています。なぜなら私達はこれらのゾウを失ったからです。それによって危機が目の前に現出したのです。動物が殺され、人々がその死体を目にする時、これが現実に起こっている問題だということを人々に気付かせるのだと私は思います。
− ザンガ・バイは特別ですか?
はい。このようなバイは他にはありません。人々はガボンにバイがあると言いますが、それらはそれほど頻繁に(動物に)使われません。ザンガ・バイは巨大な砂を含み泥のたまった自然の窪地です。バイではだれでもゾウを見ることができます−20頭、30頭、時には40頭ものゾウを。
− あなたは、バイは重要な社交場だと説明しましたね。
はい。これらの巨大な道の上でゾウがバイに入って、彼らの歩みが活発になるのが見られます。彼らは一緒に遊ぶ他のゾウがいるのを見ます。人間と同じように、彼らは長生きで、身体的・社会的に発達する長い期間をその生涯に持っています。ですから、彼らは本質的に“ゾウ”としてどうあるべきかを学ばなければなりません。
私はザンガの空き地をゾウにとっての社交の舞台のように考えています。私はオスのゾウにとってバイは“オスの学校”だと思います。メスと違い、若いオスは家族のグループを離れ、メスよりも単独性の強い生活をします。彼らは多くのオスとの競合を通して社会的な学びを得ます。一方メスはグループにとどまり、子どもの世話をしながらグループのメンバーと一緒に移動します。
バイでは私達は“盛りがついた”(発情期の)たくさんのオスを見ます。私達は交尾も観察します。実は私達は今まで2回しか誕生の場面を見たことがありません。母親たちは出産のために森の中に入るのだと思います。バイは出産する場所としては、かなり騒がし過ぎるのでしょう。
− あなたはバイで今までに約4,000頭のマルミミゾウの個体をカウントしたのですよね?
はい、そして彼らの一部は1回きりしか見たことのない個体です。多くの個体は常連です。
− 一部のゾウは何時間も居続け、中には何週間も居続ける個体もいるのですね。
そのとおりです。季節ごとにだけやって来る個体もいます。
− ゾウの行動を観察することによって、密猟がまたアフリカで増加するという何らかの徴候をあなたは得たのですか?
いいえ。なぜなら4年前まではバイは非常に穏やかだったからです。私達はそのころ4頭のゾウを失いましたが、それは現地の人々によるもので、私達は彼らが誰であるかを知っていました。しかし東側のコンゴ共和国の全体の地域は木材の伐採のためにかなり開発が進んでいました、そして道路の建設が行われていました。1990年に私がCARに来た時、伐採業はありませんでした。10年前にそれは始まりました。興味深いことに、バイではゾウの生息数は増えました。しかしそれはゾウ達がバイを安全な場所だと感じている事実のためであると思っています。
− マルミミゾウについての興味深い矛盾のひとつは、あなたのデータが使われているMaisel とStrindbergの研究が示す様に、彼らを見ることは難しくなっているのに、異常なレベルで密猟されていることです。彼らの生息地が彼らに最も大きな危険をもたらしているのですか?
それはとても重要なポイントです。CARでは、私は国立公園のことをペーパー・パーク(紙の国立公園)と呼びます。それらの境界は書類の上だけにあります。大統領は保護された国立公園に指定する時に法令にサインしますが、それはただ書類上のみのものです。そこには監視に従事するエコガードはわずか数人しかいません。
フランス人は国立公園を保護下に置くという考えを全く持っていませんでした。アフリカの国家を植民地化しそれらを保全する能力に関わって、英国人は実用的な公園システムを残しました。他の宗主国の下の植民地では、国立公園はつくられましたが、大部分はただ書類として存在するのみで、現場での実際の管理はほとんど成されていません。保全の観点から見ると、旧フランス領アフリカと旧英国領アフリカの間には違いがあります。旧フランス領アフリカではたくさんの国立公園がありますが、それらを管理する努力がほとんどされていません。
− その不均衡に対処する何らかの方法はありますか?
私が以前言ったことに類似します:良く訓練され、しかるべき装備を持ったエコガードです。それが問題です。エコガードはすべての仕事をします − 彼らは徒歩で行動し、何キロも歩きます、そして雨期には仕事をする時、そのまま外へ出るのです。彼らは精神的なサポートも必要としています。
− 密猟者はどのようにゾウに近づくのですか?徒歩あるいはヘリコプターまたは他の方法を使うのですか?
徒歩です。アフリカ人は強靭な人々です。そして彼らが何かがどこかにいるのを見つけた時、彼らは近づき、そしてたたきのめすのです。
− あなたは殺されたどのゾウの中でどの個体も知らなかったとおっしゃいました。それは変わりましたか?
私は写真を見ました。耳には私が識別できる印はありませんでした。もしも私が戻った時、私が知っていたたくさんのゾウが現れなかったら、彼らは殺されたということだというのが私の唯一の考えです。そこには何頭かの常連のゾウがいました。
− 多くのNGOは戦場で実際に戦っている軍隊のような部隊をおおやけに支持したがらないようにみえます。私はあなたが違う意見かどうか知りたいのですが。
私はそれが今現在のたったひとつの選択肢だと思います。それはNGOの大きな失敗のひとつです-彼らは現場の人々を支援しようとしない。それぞれの状況は違いますが、基本的に必要なのは、良い装備を持ち、訓練を受けたエコガードを現場に常駐させることです。さもなければ私達は彼ら(ゾウ)を失ってしまいます。象牙の価格は上昇し、密猟者は熟練し、高度な武器を持っています。そして彼らはどこにゾウがいるのか知っています。情報のハイウェイのおかげです。インターネットはある意味では素晴らしいものですが、それはまた犯罪者が彼らの仕事をできるようにさせてしまいました。
− 軍隊のような対応を要請することに、なぜNGOは抵抗するのですか?
抑圧的と感じるからではないかと思います。しかしゾウを殺したがっている犯罪者がここにはたくさんいます。それにもし密猟者が近くにいたら、地域住民と彼らの安全にも影響します。しかしNGOには密猟の増加に対処できる装備がありません。
− それなら、だれがその種の仕事をするに適しているのですか?
現在バヤンガではプライベート・セキュリティ・チームが状況を管理しています。彼らは軍隊および諜報員の訓練を受けてきています。私はセレカに対処するのに必要なのはこの種のスキルセットだと思います。
私達が直ちにできる最も効果的なことのひとつは、兵士を訓練することです。私は多くのエコガードを知っていますが、彼らは状況をわかっていません。彼らにはその分野の経験がありません。ですから私はこれらの人々を訓練することが重要だと思います。私達の地域のエコガードはフランス軍による訓練の後に彼らの仕事は重要だと感じました。私は、ある男が非常に興奮していたことを覚えています。彼は訓練の証書を持っていました。このことは彼と全体のモラルにとってとても重要でした。
− あなたは研究をしている時、誰と一緒に仕事をしていますか?
私はアカの人々の2つのチームと仕事をしています。各チームには3人います。2人は研究助手です。しかし研究に加えて私達は調査用施設を維持管理するなどの他の全ての仕事をします。インフラを建設するとか自動車を手入れするというようなことです。私達は大工仕事を含む広範囲のスキルセットを協力して身につけました。それは私がこの地に来る前には持っていなかったスキルです。私達のリサーチキャンプに隣接してザンガ・ンドキ国立公園の管理チームの一部である常設のエコガードのキャンプがあります。私達は毎日彼らと連絡をとり合い、12km離れた公園本部に連絡をとって支援を求めたり、また輸送手段や基本的な医薬品などでも助け合います。私達はまたその地域での密猟の可能性がある活動についての情報を交換し合ってもいます。
− ザンガであなたと一緒に働いていた人々はまだそこにいるのですか?
私と一緒に働いていた人々はまだそこにいます。彼らがバイ(空き地)で何らかの仕事をしようとしていることを私は知っています。私が働いていたその地域は、(国内の他の地域で起こったような)残虐行為を経験したことがありません。
私は最近彼らと連絡をとっていません。しかし彼らは公園当局の助けを受けて今もバイでの日々のモニタリングを行おうとしています。WWFは特にエコガード のパトロールのような公園の管理を監視する現場のチームを維持しています。
− あなたは自動車を持っていますか?
私は新車を持っていました、しかしセレカにそれを盗まれる可能性から、私はそれを森の中に隠さなければなりませんでした。その車をヨーロッパからCAR国内に持ってくるのに6か月かかりました。車は貴重な必需品です。
− 20年以上の仕事の後、ゾウ達はあなたが最初に研究を始めた時にしたのとは異なった方法であなたに接しましたか?
彼らは私を私とは認識していません; 彼らはそこに人間がいるということだけを認識しているのです。私達が話しかけても、ゾウ達は反応を見せません。彼らは私達が彼らを傷つけないということを認識しています。しかし彼らが臆病になっている日もあります。私達はバイの外でどんな種類の体験が彼らに生じているかをいつも知っているわけではありません。しかし彼らはその体験を安全確保と結びつけています。動物は昼間の時間はそこでとても安全だと感じています。
− あなたはバイでゾウとなんらかの親密な触れ合いをもったことがありますか?
いいえ、わたしは敢えてそうしないようにしています。私は彼らが人間を信用するようになってほしくないのです。なぜなら私達の領域の外側では彼らは守られていないからです。彼らは恐れる必要があります。それは私達人間の大部分が見ず知らずの人を信用しないことのようなものです。それはゾウにとっても同じです。恐れは結局彼らを守る最たるものなのです。
− あなたはマルミミゾウの専門家の第一人者であると言われていますね。マルミミゾウとサバンナゾウの研究の相違点は何ですか?
人々はサバンナゾウを知っています。彼らを見るのは簡単です。しかし私達は全てを徒歩で行わなければなりません。つまり地面にゾウと一緒にいるのです。実を言うと去年の10月、私は1頭のゾウにほとんど殺されかけました。私達はこのオスを彼が幼い頃からずっと観察していました。彼は私の方に向かってきはじめました、そして私はかろうじて水に飛び込み、植生の後ろに隠れました。本当に、彼らの生息環境の中で彼らの行動を読み取らなければならないのです。私は非常に慎重です。
とにかく、マルミミゾウはサバンナゾウと違っていません。私はゾウの広範囲のネットワークを確認しました。彼らの間にある違いは木々なのです。あなたがアンボセリに行ったら、ゾウを1マイル先に見ることができるでしょう。それゆえにバイのような森の空き地は非常に重要なのです。なぜならそれは動物を観察するのに最高の形態だからです。
− The Elephant Listening Projectとのゾウの発する声についてのあなたの研究に話を戻します。あなたが研究していることの一部は、超低周波の音-人間には聞き取れないゾウの声-ですね。それらの声はどのくらい遠くまで届くのですか?
この質問はPeter (Director of The Elephant Listening ProjectのPeter Wrege氏) のためのものだと私は思います。しかし私は2kmくらいだと思います。でももっと遠くまで届くかもしれません。
− 彼らが互いに発し合う人間に聞き取れない声で最も重要なものは何ですか?
それはおそらく“コンタクト・コール”です。なぜなら彼らはとても社会性があると同時に離れ離れにもなるからです。私は真正面でそうした声の一つを録音しました。1頭のメスがバイの端で座っている彼女の娘を呼んでいました。いくつかの呼び声は完全に超低周波のものでした、しかしたくさんの聞き取れる呼び声は超低周波の成分を含んでいました。超低周波は植生を通り抜けます。ゾウはそれらを聞き取ることができる優れた耳を持っているのです。
− 他の動物はその声を聴くことができますか?
はい、そして私は超低周波の音を出すことのできる動物が他にもいると思います。現在研究者は類人猿と同様にそのことに注目しています。音声はこれらの動物の最後の未開拓分野です。以前私たちはそれを録音する技術を持っていませんでした。この種のラボラトリーでの仕事を通して私は多くのことを学びました。
− ただ多くを知り過ぎることの限界をあなたは考えたことがありますか?ゾウについてのいくつかのことはまだミステリーのままにしておくべきというように。
そうですね…、私は自分が知りすぎることは決してないと思いますね。なぜなら私はたくさんのことが明らかにされるとは思えないからです。
数年前に私はあるインタヴュアーにこう言いました。「ひとりの女性として、私はゾウを見ることを愛しています、なぜならそれはとても瞑想的だからです」と。私の仕事が私をそこへ連れて行ってくれるので、私は瞑想をする必要がありません。私はバイではとてもリラックスしています、そしていつも新しい何かを発見します。今、私は2頭の血縁関係にある個体が出会って話をする時の声の反応を予想することができます。私達女性はそこに座ってただ観察するだけの忍耐をより多く持っています。男性は大きな発見により夢中になると思います。しかし女性はー私達はじっと留まる力を持っています。
− もっとも有名な野生生物保護の専門家の何人かは女性であるということは興味深いです。
私達の多くが何も正式のトレーニングを受けないでこの分野に加わっています。私は中等学校の教師としてやって来ました。ダイアン・フォッシーは理学療法士でした。しかし女性は見ることに夢中になります。この仕事はただの仕事ではなくて生き方そのものなのです。
− アフリカにおける密猟の危機に対するアメリカ合衆国の対応についてあなたはどう評価しますか?
多くの努力がされてきていると私は思います。オバマ大統領はそれを止めることに署名しました。しかし私は私達が現場でもっとたくさんのことをする必要があると思っています、そして私達は現場でそれを成功させなければなりません。アメリカでは、私達はアフリカと多くのつながりを持っていません − 私達は奴隷貿易を除けばアフリカ大陸に関わる歴史を多くは持っていません。
− アフリカのどの国が模範を示していると考えますか?
注目すべき国はケニアですね。彼らは実によくやっています。彼らは野生動物と保全とツーリズムを結びつけています。彼らは有能です。南アフリカはいくつかの良い仕事をしています。クルーガー国立公園は世界中で最も良く管理された国立公園のひとつです。
− 南アフリカでサイの密猟について重大な危機があることを除いてはですね。
はい、しかしそれをしているのは白人です。
− あなたは恐れていますか?
いいえ。密猟者は今まで私を傷つけたことはありません。エコガードがキャンプを離れていた時に一度銃口を突きつけられたことがあります。しかしもし私が本当に恐れていたなら、その時を最後に私はここを離れなければならなかったでしょう。
− あなたがCARで目撃した不正や汚職の程度について話していただけますか?
非常にたくさんあります。私はいつも言っていますが、人々は仕事に対して給料を支払われていない時に真の不正行為だと感じます。不正や汚職は休みなく起こっています。
− それはどのように密猟と関わっているのですか?
政府の役人が象牙の国境通過、空港や税関の通過を手助けしています。そしてたくさんの象牙が押収されずに通過し、それらは全て最後に中国に着きます。この象牙を移動させる力を持った人々は政府の役人です。
− あなたはあなたがCARにいつ戻れそうか予測していますか?また、そうなるにはどのような条件が必要ですか?
私は政治的な状況を注意して見ています。そしてあと数か月以内に戻りたいです。セレカは非常に予測不可能であり、暴力で名高いので、CARはより政治的に安定するべきです。
− あなたはこの研究を将来長く続けるための適切な計画がありますか?−たとえあなたが去った後でさえも
これは最も長く続いているマルミミゾウの研究ですから、この研究は続いて行くでしょう。替わりの人を探すのが難しいでしょう。これはこの仕事のせいだけではなく、支援の不足と私達の働いている条件のせいです。今、状況はさらに微妙になりました。
− あなたはバイでゾウの研究と保護の両方をするとおっしゃいましたね。
違ったタイプの研究があります。私の研究は長期間のものです。私には権利が与えられています。私は政府の役人と国外に逃げた大統領を知っています。それから大学院で研究している人々がいます。彼らはデータを持って、外に出る必要があります。それは別の研究です。私にはこれらのゾウを保護する義務があります。
例えば2〜3年前のある日、私達は日々の観察をするためにバイにいました。そしてそこにはゾウはいませんでした。これはとても疑わしいことでした。私は一緒にいたトラッカーに向き直り、尋ねました “いったいどうしたの?”。彼は答えました “人々がここにいます”。私達は湿地を離れました。そして私達は道を横切っている人間の足跡を見つけました。キャンプに戻りながら公園当局に無線で連絡をとろうとしましたが、運悪くつながりませんでした。だから私は町まで12kmの道のりを何人かのエコガードを連れてくるために車で走りました。そして私達はその夜後から到着したエコガードの一団を伴ってキャンプに戻りました。彼らは暗闇の中を徒歩でバイに向かいました。そして30分後、銃撃戦が起こりました。エコガードは実際に銃を持って観察台にいた6人を逮捕しました。全てはゾウの密猟に関係することです。
これは仕事の一部です-私にはゾウを保護するためにできることをやる義務があります。私達がこれらの動物達を守る努力をしなければ、彼らはここからいなくなってしまうのです。
独立行政法人環境再生保全機構より平成24年度地球環境基金助成金を受けて実施した「アフリカの熱帯林の環境保全と日本をつなぐ生物多様性保全の教育・普及活動」のフォローアップの一環としてこのページを作成し、公開しています。